松尾潔の「メロウな歌謡POP」第6曲目 スガ シカオ「愛について」(1998)~イントロダクション~

第6曲目:スガ シカオ「愛について」(1998) ~イントロダクション~

 

 自分もそのひとりなので強い実感を込めて言いますが、いま40代後半の音楽業界人にとって1997年のスガ シカオのデビューはかなり衝撃がありました。まずはその遅いデビュー。66年生まれの彼はすでに30代だったのです。何せその5年も前に天に召された尾崎豊のたったひとつ年下に過ぎなかったのですから。まあその比較は極端としても、20代前半でデビューしたミュージシャンなら、しかるべき結果が出ていなければ引退しても不思議ではない年ごろでした。

 そしてもうひとつ、楽曲がブラックミュージック、とりわけファンクからの影響を色濃く感じさせることにも注目が集まりました。ただし、日本におけるブラックミュージック・オリエンティッドな歌い手の主流である鈴木雅之久保田利伸中西圭三といったスタンダップ・シンガーたちのように、圧倒的な歌のうまさを売りにしていたわけではありません。かといって岡村靖幸のように踊りながら歌うわけでもなく、ギターを手にしている。豊かな声量ではなく、豊かなリスナー体験を感じさせる独特の歌い回しで勝負する印象は、どことなく大沢誉志幸を思い出させました。黒く塗るのではなく、影の濃さで何かを語ろうとするスタンス。陰翳礼讃。

 60年代から70年代にかけて大活躍したサンフランシスコのファンクロック・バンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンへの傾倒ぶりは、デビュー曲「ヒットチャートをかけぬけろ」にもよく表れていました。デビュー後10年間にわたってスガが活動を共にした自分のバンド名が、スライ愛を端的に表現した「シカオ&ザ・ファミリー・シュガー(Sugarは苗字のSUGAから)」だったのは有名な話です。

 サウンドをつらぬくブラックネスと対照的に、そのボーカルは黒人のイミテーション感がいたって希薄。ここは評価の分かれるところでしたね。考えてみれば、ファンクの天才スライ・ストーンをリスペクトしているからといって、イコール歌ウマ黒人シンガー好きということにはならないのですから。スガより2学年下のJ-POP一大アイコン小沢健二もまたスライに惹かれたひとりですが、サウンドプロダクションのみならず、何とアルバムタイトル、アートワークまでを公然と引用(剽窃?)して一大傑作『LIFE』(94年)をものにした彼のボーカルに、黒人音楽からのストレートな影響を見出すのはむずかしい。スガもオザケンもボーカル表現そのものよりもリードボーカルを取り囲む世界観の構築にこそ音楽制作の妙味をつよく感じているのでしょうね。

 

 スガ シカオは大学卒業後、サラリーマン生活を経て95年くらいからインディー盤をリリースしていたそうですが、ぼくが彼の存在を知ったのは97年にメジャー・デビューシングル「ヒットチャートをかけぬけろ」をリリースしたときでした。おっ、これはいいかもと手が伸びたのは2枚目の「黄金の月」。初期スガサウンドの特徴といえる、太いベースに導かれる不穏なループ、せわしなく鳴るワウギター、間隙を縫うように響くエレクトリック・ピアノ、ストリングス的な役割を負った多重コーラス……こういった編曲上の要素をすでにバランスよく備えていました。ここではスライ&ザ・ファミリー・ストーンへの傾倒ぶりはより顕著なものとなっており、彼らの代表曲のひとつ「Family Affair」でビリー・プレストンが弾いたローズピアノの歴史的フレーズをそれとわかるよう愛情たっぷりに引用してもいます。そういった洋楽オタクぶりは無邪気な好ましいものとしてぼくの目に映りました。ルーサー・ヴァンドロスR・ケリーのようなベッドルーム〜ソウルバー的なR&B美学からは程遠いですが、これもまたブラックミュージックという種が咲かせた花、精神のリレーだと。

 スガにはサウンドプロデューサー的才覚に加えてもうひとつ強い武器がありました。突出した詩作能力です。「黄金の月」の歌詞を支配する寂寥感には新人という呼び名がおよそ似合いません。「ぼくの情熱はいまや流したはずの涙より冷たくなってしまった」という冒頭の一節に文学の香りを嗅ぎとるのは自然な反応でした。またJ-POPの世界に新たな村上春樹チルドレン登場かと。ハルキ・ムラカミ色をつよく感じさせるミュージシャンは小沢健二やキリンジアジカンをはじめとして数多いですが、スガシカオの歌詞には生きそこない、もしくは死にぞこないの甘やかな腐敗臭がぷんぷん。そこが大きな魅力になっています。静かなる敗残者のファンク、とでも呼びたいような。鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明、加島祥造といった所謂「荒地派詩人」の影が見え隠れすることに妙に納得もしてしまうのは、ぼくがスガのたったひとつ年下だからでしょうか。

 そう、自分と同世代のミュージシャンのうたについて考えをめぐらせることはこのうえなく楽しい反面、どこか気恥ずかしさを伴うものです。なにより人生体験の分母がニアイコール。影響を受けた音楽や小説、映画などを察しやすいことは確か。そのいっぽうで「この人ってぼくとそんなに歳が違わないはずなのに、どうしてこんなことを知っている(あるいは、知らない)のだろう?」と疑問を抱いてしまうこともある。だからこそ興味も尽きないわけですが。

 

 ぼくがスガとスペースシャワーの番組で初めて共演したのはそのころのこと。照れているのか緊張しているのかそれともデビュー戦略のひとつなのか、極端に帽子を目深に被るスガ。「黄金の月」のMVでもそうでしたっけ。マイクが回ってくるたびにモジモジしてしまう彼を見るにつけ、こりゃ相当な恥ずかしがりやだなあとあきれてしまったものです。番組MCのユースケ・サンタマリアさんは、実際にはスガより年下のぼくのことを、かなり年長の評論家と誤解していた様子で 、番組の最後に「じゃあマツオさんからシカオちゃんにひと言アドバイスを」と求められました。ぼくはいかにも感じ悪いその役割に一瞬とまどったものの、それでも咄嗟に「もっと自信を持って自分の好きなようにやったらいいんじゃないですか」といった内容を返したものです。スガの口元には困惑の表情が浮かんでいるように見えました。

 そのコメントが短絡的に過ぎたことをぼくは痛いほど知ることになります。このあと次第に明らかになるのですが、スガシカオの音楽は「あー楽しい!!」とか「うーっ、悲しい……」といった針の振り切れた感情ではなく、もやもやとしたり、ざらついたりする日常の心象風景や機微といったものを丁寧に描くことで居場所を拡大していったからです。彼ならではの独特の筆致とサウンドで。いま思えば、洞察と思慮に欠けたコメントを吐くぼくは、あたかも繊細な中間色の表現に腐心する美術家に向かって「もっと売れたいならパキッ、スカッとした景気のいいトーンでやれよ」と迫る悪徳画商のように視聴者の目に映ったかもしれません。

 

本編に続く

 

今回ご紹介した楽曲、「ヒットチャートをかけぬけろ」「黄金の月」
収録の1stアルバム!

Clover/スガ シカオ

スガ シカオ『Clover』

 


 

松尾 潔 プロフィール

1968 年生まれ。福岡県出身。
音楽プロデューサー/作詞家/作曲家

早稲田大学在学中にR&B/HIPHOPを主な対象として執筆を開始。アメリカやイギリスでの豊富な現地取材をベースとした評論活動、多数のラジオ・TV出演を重ね、若くしてその存在を認められる。久保田利伸との交流をきっかけに90年代半ばから音楽制作に携わり、SPEED、MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。その後プロデュースした平井堅、CHEMISTRYにミリオンセラーをもたらして彼らをスターダムに押し上げた。また東方神起、Kといった韓国人アーティストの日本デビューに関わり、K-POP市場拡大の原動力となる。

その他、プロデューサー、ソングライターとしてEXILE、JUJU、由紀さおり、三代目J Soul Brothersなど数多くのアーティストの楽曲制作に携わる。シングルおよび収録アルバムの累計セールス枚数は3000万枚を超す。
2008年、EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲・プロデュース)で第50回日本レコード大賞「大賞」を、2011年、JUJU「この夜を止めてよ」(作詞・プロデュース)で第53回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。
NHK-FM の人気番組『松尾潔のメロウな夜』は放送5年目をかぞえる。

近著に『松尾潔のメロウな日々』(スペースシャワーブックス)。